がん患者の生活を支えるアピアランスケア:歴史と発展

アピアランスケア, 山本公生ブログ

がん治療において、身体的な治療と同じくらい重要でありながら、長い間見過ごされてきた側面があります。それが「アピアランスケア」です。治療に伴う外見の変化は患者さんの心理状態や社会生活に大きな影響を与えますが、近年ようやくその重要性が認識されるようになりました。本記事では、アピアランスケアの定義から始まり、その歴史的背景、日本と海外での発展、そして現在の課題と展望まで、包括的に解説します。

アピアランスケアとは何か:その定義と誕生の背景

日本発の医療概念:アピアランスケアの定義

アピアランスケアとは、「がんやその治療に伴う外見変化に起因する身体・心理・社会的な困難に直面している患者とその家族に対し、診断時からの包括的なアセスメントに基づき、多職種で支援する医療者のアプローチ」と定義されています。

注目すべきは、この「アピアランスケア」という言葉が日本で生まれた造語であることです。国立がん研究センター中央病院の外見関連患者支援チーム(平成17〜24年、現在のアピアランス支援センター)によって作られました。「アピアランス(Appearance)」という英語の「外見」を意味する言葉に「ケア」を組み合わせたこの用語は、今や日本のがん医療における重要な概念となっています。

なぜ今、アピアランスケアが必要とされるのか

アピアランスケアが医療現場で重視されるようになった背景には、以下のような要因があります:

  • がん治療の進歩:がん治療の発展により生存率が向上し、患者さんが長く生きられるようになりました。その結果、単に「生きる」だけでなく「どのように生きるか」という Quality of Life(QOL)に焦点が当たるようになりました。
  • 治療環境の変化:制吐剤などの支持療法の進歩により、化学療法による身体的な苦痛が軽減されました。これにより、仕事や家族との関わりを維持しながら治療を続けることが可能となり、外見への関心が高まりました。
  • 外来化学療法の普及:2000年以降、診療報酬における外来化学療法加算やDPC制度の導入により、入院から外来での治療へと移行が進みました。社会生活を続けながら治療を受ける患者さんにとって、外見は大きな関心事となっています。
  • 患者の実態調査:さまざまな調査により、脱毛や肌の変化などの外見の変化が、吐き気などの身体的な苦痛よりも患者さんにとって大きな苦痛となっていることが明らかになりました。

これらの変化により、がん患者さんの社会的な役割を維持し、QOLを向上させるためのアピアランスケアが重要視されるようになったのです。

日本におけるアピアランスケアの発展

草創期から組織的な取り組みへ

日本でのアピアランスケアの発展は、比較的新しい流れといえます:

  • 初期の取り組み(1990年代〜):がん患者さんのQOL向上を目的とした研究が徐々に始まりました。この時期は、まだアピアランスケアという概念そのものは明確に定義されていませんでした。
  • 概念の確立期(2000年代):外来化学療法の普及とともに、外見の変化に対する患者さんのニーズが顕在化し始めました。国立がん研究センター中央病院では外見関連患者支援チームの活動が始まり、「アピアランスケア」という概念が生まれました。
  • 組織的取り組みの開始(2013年〜):2013年7月、国立がん研究センター中央病院にアピアランス支援センターが開設されました。ここでは、院内での患者向けプログラムの実施だけでなく、全国のがん診療連携拠点病院の医療者を対象とした研修も行われ、アピアランスケアのネットワーク構築が進みました。

政策への反映と標準化の動き

アピアランスケアは、次第に国のがん対策にも取り入れられるようになりました:

  • 第3期がん対策推進基本計画(2018年〜):この計画に「アピアランス」という言葉が初めて用いられ、国としてがん患者のQOL向上を目指す方針が示されました。
  • 第4期がん対策推進基本計画:拠点病院等を中心としたアピアランスケアに係る相談支援・情報提供体制の構築が取り組むべき施策として明記されています。
  • ガイドラインの整備:2016年に「がん患者に対するアピアランスケアの手引き」が作成され、2021年には日本がんサポーティブケア学会から「がん治療におけるアピアランスケアガイドライン」が発刊されるなど、エビデンスに基づいた医療者向け指針が整備されました。
  • 地域での支援拡大:ウィッグや胸部補整具などの購入費用助成事業を行う地方公共団体が600を超えるなど、全国的に支援の輪が広がっています。

アピアランスケア普及の立役者たち

この分野の発展に貢献した人物として、国立がん研究センター中央病院アピアランス支援センターの初代センター長を務めた野澤桂子氏の名前は特筆すべきでしょう。野澤氏は「アピアランスケア」という言葉を日本で広め、その概念を確立することに尽力しました。また、藤間勝子氏もアピアランスケアの普及に大きく貢献した人物として知られています。

世界のアピアランスケア:日本と海外の比較

「Look Good Feel Better」の国際的な活動

海外では、アメリカ発祥の「Look Good Feel Better(ルックグッドフィールベター、略称LGFB)」というアピアランスケア団体が世界各国で活動しています:

  • 化粧品業界との連携:LGFBは化粧品メーカーからの寄付によって運営されており、寄付された化粧品を患者さんに配布するなど、外見を整えることで患者さんの気持ちを前向きにする活動を行っています。
  • 多様なプログラム提供:メイクアップ講座、ウィッグの付け方、スカーフの巻き方など、対面やオンラインで様々な講座を提供しています。
  • 国際的なネットワーク:LGFBは世界26か国以上で活動を展開しており、アジアではシンガポールに拠点がありますが、日本にはまだ正式な拠点が設置されていません。

頭皮冷却装置と脱毛予防

がん治療による脱毛に対するアプローチも、日本と海外では違いがあります:

  • 海外での早期普及:イギリスのPAXMAN社は、1997年にビールサーバーの冷却システムを応用して頭皮冷却装置を開発しました。会長の妻が乳がんになったことがきっかけで開発に着手したというエピソードも知られています。
  • 原理と効果:頭皮を冷却することで、抗がん剤が頭皮の毛根に届く量を減らし、脱毛を予防する技術です。欧米では広く普及しています。
  • 日本での導入状況:日本では2019年に脱毛予防の頭皮冷却装置が認可されましたが、まだ導入している医療機関は限られています。

日本と海外の比較表

以下の表は、日本と海外のアピアランスケアの主な違いをまとめたものです:

比較項目 日本 海外
専門団体 日本キャンサーアピアランスケア協会などが活動しているが規模は小さい Look Good Feel Betterなど国際的な団体が多くの国で活動
頭皮冷却療法 2019年に認可されたが普及は限定的 欧米では広く普及し一般的な選択肢となっている
費用補助 自治体による助成制度はあるが地域差が大きい 一部の国では医療保険の対象となるケースもある
医療者の認識 職種間で認識の差があり、医師の認識が低い傾向 医療チーム全体での認識が比較的高い

アピアランスケアの現状と課題

現場で直面する課題

アピアランスケアの普及が進む一方で、いくつかの課題も明らかになっています:

  • 医療者の認識格差:看護師や薬剤師に比べて、医師のアピアランスケアに対する認識が低い傾向があります。これは患者さんが適切な情報やサポートを受ける機会を逃す原因になっています。
  • 施設間の格差:アピアランスケアの相談実績には施設間で大きな差があり、すべての患者さんが均等に支援を受けられる体制にはまだ至っていません。
  • 情報提供体制の不十分さ:患者さんがアピアランスケアに関する情報を十分に得られていないケースが多く、特に治療開始前の事前情報提供が課題となっています。
  • エビデンスの蓄積不足:アピアランスケアに関する科学的エビデンスはまだ発展途上であり、さらなる研究と知見の蓄積が必要です。

さんが適切な情報やサポートを受ける機会を逃す原因になっています。

  • 施設間の格差:アピアランスケアの相談実績には施設間で大きな差があり、すべての患者さんが均等に支援を受けられる体制にはまだ至っていません。
  • 情報提供体制の不十分さ:患者さんがアピアランスケアに関する情報を十分に得られていないケースが多く、特に治療開始前の事前情報提供が課題となっています。
  • エビデンスの蓄積不足:アピアランスケアに関する科学的エビデンスはまだ発展途上であり、さらなる研究と知見の蓄積が必要です。
  • 求められる包括的アプローチ

    アピアランスケアは単一のアプローチではなく、複数の側面からの支援が必要です:

    • 外見への直接的介入:ウィッグ、メイクアップ、補整具など、外見の変化を補完するための具体的な方法の提供
    • 心理的介入:外見の変化に伴う心理的な苦痛に対するカウンセリングやサポート
    • 社会的介入:就労支援、家族・周囲の人への情報提供など、患者さんの社会生活を支援するアプローチ

    これらの要素をバランスよく組み合わせることで、より効果的な支援が可能になります。

    今後の展望:アピアランスケアの未来

    アピアランスケアの発展に向けた取り組み

    アピアランスケアのさらなる発展のためには、以下のような取り組みが期待されます:

    • 医療者教育の充実:医学教育や卒後教育にアピアランスケアを積極的に取り入れ、医療者全体の意識向上を図ることが重要です。
    • 情報提供体制の整備:診断時から治療中、治療後まで、継続的に患者さんにアピアランスケアに関する情報を提供できる体制の構築が必要です。
    • 研究の促進:アピアランスケアの効果を科学的に検証する研究を促進し、エビデンスを蓄積することが求められます。
    • 多職種連携の強化:医師、看護師、薬剤師、心理士、美容専門家など、様々な専門家が連携してアピアランスケアを提供する体制の強化が必要です。
    • 保険適用の検討:現在は公的な保険適用外のケースが多いアピアランスケア関連の費用について、一部でも保険適用を検討することが患者負担の軽減につながります。

    テクノロジーの活用と新しい支援方法

    今後のアピアランスケアでは、新しいテクノロジーや支援方法の開発も期待されます:

    • デジタルサポート:オンラインでのカウンセリングやワークショップの提供、アプリを活用したセルフケアの支援など
    • 副作用軽減技術:頭皮冷却装置に続く、治療の副作用を軽減するための新技術の開発
    • 個別化されたケア:患者さん一人ひとりの状況やニーズに合わせた個別化されたアピアランスケアの提供

    まとめ:アピアランスケアが目指すもの

    アピアランスケアは、単に「美しくなる」ことを目指すものではありません。がん治療に伴う外見の変化があっても、患者さんが自分らしさを保ち、安心して社会生活を送ることができるよう支援することが本質的な目的です。

    治療の進歩によって、がんは「不治の病」から「共に生きる病」へと変化してきました。そのような中で、アピアランスケアは患者さんのQOLを向上させ、より充実した生活を支える重要な要素となっています。

    今後も医療の進歩とともに、患者さん中心のアピアランスケアがさらに発展していくことが期待されます。そして、すべてのがん患者さんが適切なアピアランスケアを受けられる社会の実現に向けて、医療者、患者さん、社会全体が協力していくことが大切です。

    アピアランスケアは医療の一部であると同時に、患者さんの尊厳と自己決定を尊重するという医療の本質的な価値を体現するものでもあります。外見の変化と向き合いながらも、自分らしく生きられる社会づくりに向けて、アピアランスケアの重要性は今後ますます高まっていくでしょう。

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